Thank you so much 5/29(Fri)

 今日は2回目に私の身に起きた悲劇について。

これは本当に忘れられないです。

1度目の怪我の後、段階的に問題なくリハビリは

順調に進み、かなり早いスパンで復帰に向けて進んでいました。

筋力の戻りもパワーの戻りも問題はなかったし

全体練習のフリーマンなどに参加し、ゲーム感覚を

戻すことに励んでいました。

そして全体練習への復帰とゲームへの許可を得て

ついにチーム練習に参加することになりました。

全復帰の許可を得た頃はすでに12月。チーム的に残る試合は皇后杯のみでした。

 

 あの日は多分海外のチームとの試合が関東であってそのあと試合のメンバーだけ関東に残り、皇后杯のメンバー外は関西にもどってトレーニングするとゆう別スケジュールを組んだ日、私はもちろん別でトレーニング組とミニゲームをしていた時、その日はテーピングではなくサポーターを使っていました。ミニゲームとなると細かいターンやステップが多くあるので自分でも気をつけながらプレーをしていたけれど、雨でボールタッチがうまくいかなかったり、復帰したばかりで思うように動けない自分にだんだんイライラしてきて自分の許容範囲の中で

自分が自分をコントロールできる範囲の中で動くのをやめてしまった瞬間、あの時と同じようなシチュエーションでまた同じ現象が起きました。

それからすぐに倒れ込み、次の瞬間自分ではもう同じ脚の前十字が切れてることがすぐ分かりました。

 心配して声をかけてくれる真帆と晴香の顔を

今でも覚えてるけど、その時は大丈夫だよ。

もう切れてると思う。てゆうしかなかった。

でももうこの痛みがなんなのか分かってるから

逆に涙がでてこなかった。

その時思ったのはまた同じ1年を過ごすのかとゆう

絶望感しかなかった。

 

 同じように病院へ行き、MRIをとり、

診断は左足前十字靭帯再断裂。分かってたから

ショックもなにもなくて。不思議とただまた頑張らなきゃなと思うだけだった。

それから当たり前のようにまた手術へ向けて

筋力維持のトレーニング、サッカーはもちろんできなくて、いつものようにプレーするみんなを外で見ているだけだった。

 

 皇后杯は見事優勝しておわり、私の1年目のシーズンも怪我とともに終わった。

 そして2年目のシーズンは手術、リハビリからのスタートだ。

 年があけ手術前の診察の日、手術の詳細を聞く。

1度目の再腱手術のとき、私のハムストリングの腱が

思ったより太くなくて先生は一番強い強度より少し弱く再腱したことを教えてくれた。今回は逆脚の腱を移植する形になるけれど、腱の太さがあれば

かなり強度の高い前十字靭帯の再腱ができると説明された。そのあと先生はこう続けた。

 

 高いレベルでサッカーをするなら再手術。

 このままそこまで高くないレベルでよければ

 手術しなくてもプレーはできる。

 

その言葉でなぜかわからないけど涙がでそうになった。その時お父さんが一緒に聞いていたから私は泣くのをぐっと堪えてとにかく手術したいと伝えた。

 

 手術の日は私の気持ちを待つことなくすぐに

やってきた。その日何故かわからないけど怖かった。1度目の手術のときはあれほど元気でいられたのに、2度目のその日はただ不安でいっぱいだった。

手術前、お母さんとお父さんにみとられ手術室まで行く途中、急に涙が出てきて悲しくてしょうがなかったのを今でも覚えてる。

なんであんなに悲しかったのか、涙が出たのか正直わからない。でもあの時を思い出すだけで今も目が潤んで、鼻がツンとしてくる。

 

 私が目が覚めるとベッドの上だった。

お母さんとお父さんが見えた。

両脚に包帯が巻かれていて、意識を取り戻し始めるととにかく苦しくなった。息ができなくて涙が出てきて。訳が分からなくて、お母さんとお父さんも

心配そうな顔で私を見つめるけどそれでも過呼吸みたいな状態から抜け出せなくて2人は部屋から居なくなってしまった。

看護師さんが私をなだめてくれてやっと落ち着いた。

 自分がなんで自分を取り乱したのか今でもわからない。どんな気持ちだったのかもわからないけど

ただ、辛いとか悲しいとか苦しいとか

そんな嫌な気持ちだったことは覚えてる。

 

 それからまた1度目とまるっきり同じリハビリが

始まって、当たり前の毎日がやってくる。

段階が上がれば上がるほど、キツいメニューが増えてそのたびに嫌になる自分と戦かった。

 1度目と違うのは復帰にかける時間を伸ばし、常に慎重に段階をあげることだった。

全体練習に参加できるようになる頃にはもう秋頃になっていた。ゆっくりゆっくりと復帰に向けて時間を費やし完全復活した頃にはまた皇后杯の季節。

スピードや俊敏性は以前とは全く打って変わって自分がとにかく遅いと感じることが多かった。

スピードに関しては、今まで自分のいちばんの武器としていたことを失ってしまった為、自分のプレーに自信が持てなくなっていった。

そしてそのまま私の2年目のシーズンがリハビリとともに終わって行った。

 

 私はこの2年間なにも残してこなかった。

だから来年3年目のシーズンもし契約できたら

もっと活躍できるように頑張ろう。そう決意した。

 

 2度の怪我から復帰した今、私はもう怪我に迷わされていません。

 怪我人としてリハビリをしている間、とにかく走ることしか出来なかった私。

どんな時も家族はいつも味方で、励ましてくれて。

支えてくれました。それが一番私の頑張る理由だった。それ意外にも、たくさんの人から声をかけてもらえました。あの時応援してくれていた人の中に、今でも私を応援してくれてる人、連絡をくれる人がたくさんいます。そうゆう人たちにただサッカーを楽しんでる姿を見せたいといつも思っているし、

それで恩返しができればいいなと思っています。

 

私の周りにいる応援してくれている人たちへ。

いつも本当にありがとうございます。

今も変わらず感謝の気持ちでいっぱいです。

そしてこれからもよろしくお願いします。

 

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See you next time 🐏Rina