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りっちゃんついに引退かっ?01/05/2021

はろはろ。りっちゃんです。

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今日は軽く重い話をしようと思います。

軽く思いシリーズ第1弾。

りっちゃん引退...?

あくまでも軽くね。大丈夫。全然不幸な話じゃない。

 

引退しようと思っていた話①

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ガッツリ当時のプリクラ。笑

私は高校2年生で引退を考えていました。

高校生の時に、1年生の途中から先輩の試合に出させてもらえたり、

全国大会の舞台に立たせてもらうことがありました。

この時サッカーを始めて4年ほど、まだまだサッカーについて全然知らない私に

やっぱり先輩たちはサッカーが上手で、その上余裕や自信。全てが私より上。

それでも沢山いる選手の中でたった11人しか立てない舞台に1年生の私が試合に出られることは相当でかいことでした。

今だから言えるのは、試合に出たくなかったという正直な気持ちです。

私はいつも怒られてばかりで、うじうじしていました。

同い年には到底相談もできないし、そんな贅沢な悩みを抱えていられることが幸せなはずなのにどうしても私じゃなきゃいけない理由がわからなかったから、サッカーをしていて楽しいなんて思ったことは1度もありませんでした。

怪我をしてできないくらいが幸せだと思っていた時もあります。

中学生の頃はみんなとサッカーをして自分が点を決めることがとにかく楽しかったのに

高校に入って私が点を決めることを果たして何人の人が喜んでくれるのだろう。

そう思ってしまってからは、ただやらされているだけのサッカーになってました。

先輩の思うように動かないと怒られる。そんな世界でどうやって自分のプレーを

したらいいのか、たった16歳の私には考えもつきませんでした。

私が1年生の時の3年生はすごく我の強い先輩たちで、ピッチの中で怒られることが

ほぼ毎回、メンバーに選ばれている喜びよりも試合に出ることのプレッシャーの方が

はるかに大きかったのを覚えています。

3年生の全国大会最後の試合。その日に今まで試合に出させてもらっていた当日に

私はスタメンを外されました。

特に何の話を誰からされたわけでもないけど、試合に出ずに終わったのです。

嬉しいような、悲しいような。わけのわからない気持ちでしかなったです。

それでも監督やコーチから一言何か言って欲しかったんだと今だから思います。

 

2年生になって3年生がいなくなると今までのプレッシャーがなくなり、

自分らしくプレーする機会が増えていきました。

もちろんメンバーに入れていたし、試合にでも出ていました。

それでも大切な試合の日になぜか私はスタメンにはなれなかったのです。

理由は一緒に試合に出たいと思っていた選手と同じピッチに立てなかったことで

悔しくて泣いていたのを先生が耳にしたから。

あまり詳しくその話を聞いたわけではないけれど、

多分何気ない同級生同士の会話を先生が聞いていたようで、私はチームのみんなから

よく思われていない、応援されるべき選手ではない。だから使えない。

そうゆう解釈だったのかなと思います。

試合に急に出られなくなって悔しい選手はいて当たり前、でもそれで泣くのは

メンバーに入っていない選手のことを思っていない。そう考える人もいるのだろう。

私はいつも誰かに応援してもらえる選手ではない。そう思っていました。

 

私のプレーにはいつも波があります。いい時は自分でボールを持ってシュートまでいける。

悪い時は、とにかくパスを探してそれも取られてしまう。

父が最近になって教えてくれたのは、いつも私が出てる試合で

「なんであの子は試合に出られるんだろう。他の選手の方がいいじゃん」

って言われてたよ。って。今だから受け止められる言葉だけど、

当時の自分がそれを聞いたら相当傷ついて立ち直れなかったと思います。

チームメイトのたわいのない会話で試合に出られなかったことで

周りへの信頼感はやっぱりなくなっていっていつしか同級生でさえも

私は信じられなくなりました。そして2年生が終わる年に初めて親に3年生の夏の公式戦が

終わったら私はサッカーをやめて卒業したら留学したい。

そう伝えました。

サッカーをしていても心から信頼出来る人に出会える確率なんてかなり低い。

チームスポーツでもみんながみんなを大切に思っているとは限らない。

自分を応援してくれている人が親しかいない。信頼できたのは学校の友達と

家族だけでした。今になって波があったのは、私生活が全く安定していなくて

私はいつも誰かに悪く思われている。応援なんてされてない。

そうゆうメンタルでサッカーしている時はとにかくプレーが悪くて

でも高校生の時はいつもそんな気持ちのままプレーしていたから

いい日悪い日あったのは周りの目をずっと気にしていたから。

サッカーが嫌いだった時期でした。

 

辞めることを決意。

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当時、浜松市から藤枝市まで通うのには大変だからと親と寮長の許可で

県外生と同じ寮に住んでいましたが、3年生に上がるタイミングで私は実家から電車で50分かけて毎日通うことを決意しました。

お母さんは毎日4時30分に起きてお弁当を作ってくれて、お父さんは毎日5時ごろに起きて

始発で駅まで送ってくれました。

私が3年生の夏の大会。人生最後の公式戦と思うと楽しみでしょうがなかったのを今でも覚えています。

最後だから全部出し切ろうと毎試合全力で向かいました。

終結果は全国で3位。私たちの年では期待されていなかった結果だったようで

私はこれでサッカーをやめられるという開放感と、次のステップに向かって進めるワクワクで

とにかく楽しかったやりきった。そう思っていたのを今でも覚えています。

しかしそのタイミングで思いがけない話が来たのがクラブチームからのオファーでした。

それがINACというチーム。一生に一度のチャンス、しかもその年に日本代表がW杯優勝、

当時のチームは代表で活躍する選手がほとんど試合に出ているような状況だったので

私のような高校生のほぼ初心者の選手が、試合に出ることは到底無理だろう。

それがわかっていたから一度は断ろうとしたものの、やっぱりこれからのチームとのつながりを考えると断って欲しくないのが学校の考えだったと思います。

でも最終的に私が、どうなるかわからないけどやってみよう。そうゆう気持ちで

サッカーを続けることを決めました。

3年生の冬の大会は3回戦くらいで常磐木とPKまで持ち越して敗退。

それでも全員が気持ちよく引退できたのを覚えています。

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その時の私は、誰かから応援されたい。とか、誰かが私を応援してくれていないとか

認めてくれてない。とかそうゆう他人の目を全く気にしていなかった。

ただ大好きなことを一生懸命やる。それだけだった気がします。

3年間。ただただガムシャラに突っ走ってきたけど、それでもいつも親が支えてくれていたのは確かで。寮生活でも毎週の試合を見に来てくれて孤独を感じていた私を支えてくれたのは

家族の存在が一番大きかったです。

辞めたいと何度も泣きながら話ししたことも、実家通いになってたくさん迷惑かけてしまったけれど、いつも送り迎えをしてくれたり、常に応援してくれていました。

だからこそ今の私があると思うし、あの時は辛かった。死ぬほど辛いと思っていたけど

親と、自分のために頑張ってきて本当に良かった。そう心から思います。 

いつまでも親、家族は私にとって大切な存在です。

ただただありがとう。そう伝えたいです。

 

今、辛いから引退したい。そう思っている人。

あとちょっと踏ん張ったらまた変わるかもしれない。

後悔だけはして欲しくないです。

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必ず仲間と笑える時間がくるから。

パート②もお楽しみに。

りっちゃんでした🐷